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徳島地方裁判所 昭和25年(ワ)397号 判決

原告 藤野甫 外一名

被告 国 外一名

訴訟代理人 梅田鶴吉

主文

原告らの請求はいづれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは各自、原告藤野甫に対し一、四三五、六八五円五〇銭、同藤野シゲリに対し五五〇、〇〇〇円及びこれらにつき昭和二五年九月二六日から支払ずみまで年五分の各割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「原告らの長男訴外忠義(当時満一四年)は昭和二二年八月一三日午前一〇時頃徳島市蔵本にある被告国の経営する徳島医学専門学校附属病院(以下附属病院と略称する。)内臓外科において、同校教授兼同科医長であつた被告武田から膀胱鏡検査(以下検査と略称する。)を受け同日午前一一時頃検査を終了し、左腎臓及び膀胱結核、右腎臓については異状がないと診断された。ところが被告武田はその際膀胱鏡で訴外忠義の膀胱又は尿道を穿孔又は損傷し、膀胱内の尿と検査のため注入していた三〇〇グラムの食塩水を腹腔に流出させた(以下本件事故と略称する)。そのため同人は右検査直後腹痛を訴えおう吐発熱して苦悶し始め、被告武田による尿道カテーテルのそう入、膀胱穿刺も効果なく、そのうちに白血球の増加、とう痛部分の拡大、苦悶の激化をみ、遂に同日午後五時頃被告武田から膀胱穿孔性腹膜炎と診断されて、開腹並びに膀胱高位切開の大手術をされ、そのまま、入院治療費同院負担で入院し、引続き被告武田の治療を受けたけれども、手術の傷口もいえず次第に衰弱し、食欲もなく、しばしば高熱に苦しみひん死の重態に陥ることもあつて、快ゆせす、昭和二三年四月一三日同院退院後は自宅において麻植協同病院長訴外堀尾医師の治療を受けたが病状は依然として好転しないため後記左腎臓摘出手術を受けることができず遂に昭和二四年三月一三日死亡した。

ところで訴外忠義が被告武田の検査を受けることになつたのは、同人が昭和二二年七月下旬頃国立徳島病院(以下国立病院と略称する)外科において、同科医長訴外坂東医師から左腎臓結核と診断され、早期患部摘出手術を勧められたので同医師にその実施を依頼したところ、同医師は膀胱鏡検査をしたうえ、手術することにし、被告武田にその検査を依頼したことによるものであつたので、被告武田は検査前原告甫を通じ同医師より訴外忠義の病歴病状を記載した書面とレントゲン写真を受取り、それらを検討したうえ同人を入念に診察して同人が腎臓及び膀胱結核にかかつていることを熟知し、また検査の結果左輸尿管の周囲に指頭大のかいよう(潰瘍)一個の存在と膀胱粘膜の前半部が著明に発赤していることを認めており、更に同人は年少者であるから、このような膀胱や尿道の内壁が損傷を受けやすい患者に対し、膀胱鏡検査を施行する医師としては、始終膀胱鏡のそう入抜去の操作を慎重にするは勿論、その操作には相当熟練を要するから、未熟な助手や学生に操作させないようにして、いやしくも膀胱尿道などを損傷することのないよう万全の措置をとらなければならない業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告武田は上叙の注意を怠り、自己が検鏡後漫然席をはずし、その操作を未熟な助手訴外梶本修に委ねたため、訴外梶本が更に検鏡し、学生が検鏡しようとするやその手を払いのけ、膀胱鏡を急激に膀胱から抜去した結果、その動きによる圧力と前記三〇〇グラムの食塩水による圧力とにより同人の膀胱又は尿道を穿孔又は損傷し、よつて前記結果を招くに至つたものであるから、同人の死は結局被告武田の過失に起因するものといわなくてはならない。

しかして、被告武田はその過失により生ぜしめた本件事故の結果にもとづき訴外忠義及び原告らの被つた次の損害を、被告国は左の理由により同損害をそれぞれ賠償すべきものである。すなわち、被告武田は同校教授であり、附属病院は同校の研究施設兼学生の臨床教育用施設であるから被告武田の検査は一面公務員として国の学校教育という公権力を行使するものというべく、被告武田は右検査を行うについて過失により損害を加えたものであるから被告国は憲法一七条、国家賠償法一条によりその損害を賠償すべきものである(なお現行憲法は国民主権主義に立脚し、基本的人権の保障を最も重要な理念としており、同法一七条の規定はその一表現であるからそれ自体実体的効力を有する。かりにそうでないとしても、国家賠償法附則二項の規定は憲法施行後国家賠償法施行までの間において憲法一七条を実質的に空文化するもので憲法の前記理念に反し無効であるから、国家賠償法は憲法施行の日からその効力を有すべきものである)。かりに右主張は理由がないとしても、被告武田は被告国に使用されている附属病院勤務の医師であり、被告武田が同院の医師として検査を行うについてその過失により損害を加えたものであるから、被告国は使用者としてその損害を賠償する責任がある。

そうして訴外忠義及び原告らの受けた損害としては、

一、訴外忠義は当時県立徳島商業学校三年に在学し、成績も優秀で、もし本件事故がなかつたならば昭和二二年八月中には左腎臓摘出手続を受け約一月で全治することが可能であつたのに、本件事故の結果全く予期しない大手術を受けて入院し、前記病状の下日夜「武田のためにこのようにせられた、武田に殺されるのだ。」と悲憤の涙を流し、「武田の責任を追求してくれ。」と原告らに訴へ、死の直前まで被告武田を恨みつづけていた。かかる精神的肉体的苦痛に対する慰藉料としては五〇〇、〇〇〇円が相当であり、同人は死亡前右のように責任追求の意思を表明していたから、被告らに対し右慰藉料請求権を有していたところ原告らはこの請求権を相続し、各その二分の一を有するものである。

二、原告甫は本件事故のため、1医療費として二三八、五二五円五〇銭、2雑費(汽車定期代、死亡診断書代、その他)二一、一六〇円、3葬儀費二六、〇〇〇円を支出したほか、4看病のため家事に従事できなかつた結果その間収益することのできた六〇〇、〇〇〇円相当の利得を喪失したから合計八八五、六八五円五〇銭の財産上の損害を被つた。

三、更に原告らは現住所において長年衣料品、雑貨品、荒物等の販売業を相当盛大に営み、中流以上の生活をし、訴外忠義の将来に大きな希望を託していたところ、本件事故の結果一九月間家業を放てきし、多額の療養費を投じ我が子の苦悶するのをみて悲療な苦痛を感じつつ看病に専念し、ひたすらその快ゆを祈念していたにもかかわらず愛児を失うに至つたものである。かかる精神的苦痛に対する慰藉料としては各三〇〇、〇〇〇円が相当である。

よつて被告らに対し原告甫は一乃至三の合計一、四三五、六八五円五〇銭、原告シゲリは一、三の合計五五〇、〇〇〇円及びこれらにつき被告国に対する訴状送達の日の翌日である昭和二五年九月二六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による損害金を各自支払うことを求める。」と述べ、

被告国の抗弁に対し、「前記憲法の精神及び国家賠償法が無過失責任主義をとつていることから憲法施行後国の責任については、民法七一五条一項但書は適用されず、その点において国は無過失責任を負うに至つたものと考えなければならない。」と述べた。

被告ら訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

「原告ら主張の請求原因事実のうち、原告らの長男訴外忠義は原告ら主張の日に被告国の経営する附属病院において同校教授兼同院第一外科医長被告武田から検査を受け、原告ら主張のように診断された事実、同人は検査後腹痛を訴え苦悶し導尿や収尿のため被告武田の試みた尿道カテーテルのそう入や膀胱穿刺も効果なく同日夜原告ら主張のような手術を受け、そのまま同院に入院し引続き被告武田の治療を受けた事実及び同人が原告ら主張の日に死亡した事実は認めるか、被告武田の過失によつて本件事故が発生し、同人の死亡がその結果によるものであるとの点、損害算定の基礎となる事実及びその数額は否認する。被告武田は検査の際同人の膀胱に八〇ccの滅菌蒸溜水を注入留置し、点灯した膀胱鏡に目を当てながら徐々に検査し、また膀胱鏡抜去の際には右蒸溜水の大半が尿道から流出したのであるから膀胱を損傷したようなことがありえず、更に被告武田は検査後異状のないことを確めてから同人を帰宅させるため一時間して同人に排尿を命じたが同人が自ら排尿できず、その後も同様であつたので膀胱にゴム管をそう入して導尿しようとしたところ、尿道前立腺部に障害があつてゴム管が膀胱に入らず、なおも前記措置を試み導尿や収尿をはかつたがその効果がなく、そのうち急性腹膜炎の疑が濃厚となり、尿道不通のまま放置することが許されなくなつた。そこで、被告武田は種々考えられる原因中最も重い膀胱自然穿孔を仮定し原告甫に対し試験的開腹手術を行い患者の体力が許すならば膀胱高位切開術を施し、逆行性にゴム管を尿道にそう入し膀胱の傷口を縫合閉鎖する手術を施行した方が患者のためによい旨説明したところ原告甫から一切仕すから万事よろしくお願いするといわれたため直ちにその手術をした。その結果腹腔及び膀胱に異状がなく、手術前の症状は単に膀胱部腹膜の刺激症状に過ぎなかつたことが判明した。なお逆行性にゴム管を尿道にそう入することには成功しなかつたので、一時的尿ろう(瘻)造設術を行つた。その後の経過は平穏で腹腔内に異状なく、万全を期してそう入していたゴム管からは分泌物がなかつたので手術後二、三日してそれを除去し一週間して全抜糸をし一八日頃には尿道にカテーテルをそう入することに成功したので尿ろうのゴム管を取り去り、その閉鎖につとめ、一月頃には同人の体力も回復してきたので原告甫に腎臓摘出手術を受けるよう勧めた。以上のように被告武田は検査の前後を通じ医師として最大の注意と努力を尽し、各症状に適応した診断と治療を行つたものである。訴外忠義の死亡は検査当時すでに発病後二年位経過していた腎臓膀胱及び前立腺の結核が手術後一年八月の間にまん延した結果によるものであり、入院治療費を官費としたのは、手続後一二日程して原告甫から「費用が重なり困つているから何とかしてくれ。」と懇請され、訴外忠義の病気も学問上研究に値するので学用患者の取扱をすることにしたもので責任を認めたためではない。」と述べ、かりに被告武田に過失があつたとしても

被告武田は公務員であるから重過失の場合国に対し責任を負うほか他の者に対し責任を負わず、被告国は本件が国家賠償法施行前の行為にもとずくものであるから同法による責任を負わないものというべきところ、被告国が長年の経験と医学博士の学位を持ち、特に内臓外科において優秀な技量を有する被告武田を附属病院の医師に選任したことは相当であつて、その選任については十分注意を払つたものであり、かつ医師の診療はその医師の専門に属して相当の独立性を有し、一々監督できる性質のものではないから、被告国に被告武田を監督するにつき過失があつたということができず従つて被告国には責任がないと述べた。

証拠〈省略〉

理由

原告らの長男訴外忠義(当時満一四年)は昭和二二年八月一三日徳島市蔵本にある被告国の経営する附属病院において、同校教授兼同院内臓外科医長被告武田から検査を受け、その結果、左腎臓及び膀胱結核、右腎臓には異状がないと診断された事実、同人は検査後腹痛を訴え苦悶し、被告武田の試みた尿道カテーテルの、そう入や膀胱穿孔刺も効果なく、結局同日夜被告武田から開腹並びに膀胱高位切開の大手術をされ、そのまま同院に入院し、引続き被告武田の治療を受けた事実及び同人が昭和二四年三月一三日死亡した事実は当事者間に争いがない。

そこで、まず、原告ら主張のような膀胱又は尿道の穿孔又は損傷という事故があつたか、もしあつたとしてそれが被告武田の過失に起因するものであるかどうかにつき判断する。証人梶本修(第一回)の証言、同証言により真正に成立したと認める乙第一号証、成立に争いのない甲第二号証の一、二、証人坂東正秀の証言並びに鑑定人田村一の鑑定及び原告甫(第一、三回)、被告武田(第一、二回)本人尋問の各結果(いずれも後記採用しない部分を除く)を綜合すると訴外忠義は昭和二一年頃から腎膀胱結核にかかり、昭和二二年七月国立病院において、坂東医師から両側副睾丸摘出の手術を受け、同時に左腎臓摘出手続を勧められたので同医師にその手術を懇請したところ、同医師は慎重を期するため、膀胱鏡検査をした後手術することとし、国立病院にその設備がなかつたので附属病院内臓外科医長被告武田にその依頼をした事実、被告武田はそのため昭和二二年八月一三日訴外忠義を検査することになつたが、検査前、まず原告甫を通じて受取つた坂東医師からの被告武田宛訴外忠義の病状病歴を記載した紹介状と上部尿路のX線写真を検討し、かつ自らも同人を診断して同人が腎・膀胱結核にかかつている疑が十分あることを認めた後、同人の膀胱を清潔になるまで滅菌蒸溜水で洗浄したうえ、八〇ccの同様液を膀胱内に注入しておき膀胱鏡を膀胱にそう入して点灯し目を膀胱鏡に当てながら検査を始めたが、そのうち左輸尿管から流入する膿様の尿のため膀胱内が不透明になつたので再び洗浄し、同様検鏡した結果、左輸尿管の周囲に指頭大のかいよう一箇の存在と膀胱粘膜の前半部が著明に発赤していることを認め、前記診断をするに至つた事実、被告武田は自己が検鏡後その側につきながら医員である梶本修ほか学生一名にもそれぞれ検鏡させ、その後学生をして膀胱鏡を抜去させたところ、膀胱内に注入していた液の半ばが流出するのを認めた事実、右洗浄や検鏡の際には何らその障害となり、或は異状を認める症状がなく平穏に検査が終了したが同人は検査後二時間経過しても自ら排尿できす、カテーテル、ゴム管や金属製ブージーのそう入による導尿の試みも尿道前立腺部に障害があつて成功しなかつた事実、そのうち同人は復痛を訴え、検査後四時間経過する頃には腹痛部分の拡大、白血球の増加と発熱をみ、五時間後頃には苦痛の激化、おう吐等腹膜炎初期の症状を呈したので被告武田は右症状を一応膀胱穿孔性腹膜炎と診断し、かつそれが早急に鎮静する見込もなかつたので同日午後七時四〇分頃遂に前記大手術を施行し、腹腔内及び膀胱に異常のないこと、腹膜外に軽度の尿浸潤のあることを認めた事実、検査後の症状及び尿浸潤の原因は、検鏡の際尿道前立腺部が損傷したため尿閉を引起し、かつ損傷部分から膀胱内に注入してあつた液と膿様の尿との混合物が腹膜外に浸潤した結果であつた事実が認められる。証人梶本修(第一、二回)、同市川篤二の各証言並びに鑑定人市川篤二の鑑定(第二回)及び原告甫(第一、三回)被告武田(第一、二回)本人尋問の各結果中、右認定に反する部分はいずれも鑑定人田村一の鑑定の結果並びに乙第一号証中訴外忠義の症状、手術の結果等に関する記載部分(証人梶本修の証言(第一、二回)によれば主治医であつた梶本医員が被告武田の指示を得て、その都度記載していた事実が認められるから十分信用できるものである。)と対比したやすく採用できない。もつとも乙第一号証中手術後膀胱損傷の疑いがあつたかのように読みとれる記載があるが、証人梶本修の証言(第二回)によれば、白血球数を比較しやすいように記載方法を工夫した結果によるものであることが認められ、証人坂東正秀、同掘尾茂生の各証言中の膀胱穿孔を認めたかのような部分もそれぞれ同証言によれば、前者は被告武田からの報告書(甲第二号証の二)記載の症状のみから医師として推測して述べたものであり、後者は患者が膀胱穿孔による腹膜炎の手術を受けたといいそのような手術創があつたのでそう判断したに過ぎないものであることが認められるから、いずれもいまだ前記認定を覆えすに足りないし、他に右認定を左右できる証拠がない。

原告らは右尿道損傷が原告ら主張のような被告武田の過失によるものであると主張するのでこの点考えてみると、たとい被検者が訴外忠義のような病歴病状をもつた患者であつたとしても、洗浄から検査終了まで何ら異状の認められなかつた前認定のような場合に被告武田がその側につきながら医員である梶本や同校学生にも検鏡させ、後監視のもとに学生をして膀胱鏡を抜去させたことは、診療とともに医学の研究及び学生の臨床教育を目的とする附属病院の性質上相当な行為というべく、他に患者の診療のみに専念しなければならないような急迫な事情の認められない本件においては、いまだ右事実をもつて注意義務を怠つたものということはできず、また右梶本が学生の手を払いのけ、膀胱鏡を急激に抜去したという原告らの主張事実については、原告甫本人尋問(第一、三回)の結果中その主張に副う部分も証人梶本修の証言(第一回)及び被告武田本人尋問(第一回)の結果と対比したやすく信用できず他にそれを認めうる証拠がなく、訴外忠義の膀胱に注入された液の量は前認定のように八〇ccであつて三〇〇グラム(cc)でないからこの点に被告武田に過失があつたということができない。そうして他に被告武田において過失があつたことを認めるに足る証拠がない。結局、本件の右損傷は前記認定事実と鑑定人田村一の鑑定の結果を綜合すると訴外忠義に対して根本的な治療方法であつた左腎臓摘出手術の前提として必要な検査の際、すでに結核におかされていた尿道前立腺部が二度にわたる洗浄液注入のためのゴム管並びに膀胱鏡のそう入抜去により起つた器械的刺激によつて起つた偶発的事故であつたと認めるほかはない。

そうだとすると、被告武田に過失があつたことを前提とする原告らの本訴請求はその余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する、

(裁判官 依田六郎 丸山武夫 藤原達雄)

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